新解 われここにあり

例のあいつによる例のあいつのための日記的ブログ

俺の幸せってこうだ

幸せを感じたことは君はあるか!! 

定義や思想により「幸せ」自体が人それぞれではあるが……



俺は昔からこう思っているッ!!


幸せとは、幸せを目指すこと自体である!

よって、極貧でも人生の底でも、強いルサンチマンを抱きながら足掻くならそれは至上の幸せだと思うのである。


何か成し遂げるとか、結果を残すとかだとは思ってないかい?


実はその中身は虚(うろ)なのだ。


食事をとるとき、満腹になって幸せだろうか、否、美味しいと一番感じるのは空腹を満たす過程にあるのではないか?


遠足は行く前の準備が一番楽しく無かったか?


100m日本新記録、9.98秒。 その結果自体は偉大だが実に、偉大だったのは9.98を創り出す過程ではなかったか?


そういった風に、実は幸せを飛び越えて、

人生とはピーク(結果)を争うものではないと考える。


人生とは、幸せとは、満たすこと自体に真がある。


苦痛に耐え、己に克ち、理想を求める姿勢それ自体が人生であり幸せである。


幸せとは状態ではなく

幸せとはプロセスの美なのだッ!


足るを知らず、足らずを知れ!


もがいて足掻いて死ね!










みんなには言ってなかったこと

俺な、1人でおる時だけ発動出来る特殊能力あるん。



それは、ゴミ箱にゴミを確実に投げ入れられること



ビニール袋、ティッシュその他、空気抵抗で空中で予期せぬ動きをするものでも


部屋の端から端でも


誰も見てない、撮影とかもしていないときだけ確実に入れられるんです。


寝る前とか暗闇の中ゴミ箱ある付近に投げても翌朝確認すると入ってるんです。


証拠が残るようにしようとすると途端に入らなくなります……




信じるか信じないかは、あなた次第です

スポーツ文化とスポーツビジネス

スポーツ、体育は日本にて教育を受けている諸君なら

授業、部活、クラブにて沢山経験があることだろう!

(もちろん趣味、健康管理でやる人も多々いるだろう)

というかワタクシの持論として、人間の行動は「思考と運動」のこの2つしかないと考えているので

精力を注ぐ大義が存在するのは勉学(芸術活動も含む)とスポーツの2つに大別されるので、最低限これらは継続して研鑽しなければならない

その内、スポーツにおいて、誰しもスポーツで生計を立てるとか、生涯スポーツを夢見たことがあるか実行しているように思う。 ワタクシもそう。

プロスポーツ選手への憧れは昔より幾分か減ってしまったけれども、悲しいかなそもそもスポーツにて生計を立てれるような基盤は日本にはほぼ無い。

けど今となっては別にプロにしなくても(アマチュアとして)スポーツの鍛錬を重ねる尊さを知ったから、実はワタクシとしてはスポーツ産業の発展なんてどうでもいい。 むしろスポーツの楽しさは独占したいくらいではある。

けどそれじゃあ味気ないからスポーツ産業の発展にはどうすればいいのか。

単に、ギャンブルの対象にすればいい。

逆に、競馬、競艇にギャンブルスキームが無ければどれほど集客力、規模は落ちることかを考えれば自明

八百長問題であったり色んな問題を完全に回避するために地盤を整えないよりは

それも含めてビジネスにして、課税して財源にしてみたらもっと資本主義らしいじゃない。

これまでスポーツは自己犠牲であったり謙虚さを求められすぎてたし、そういった部分が情報のボーダレス化、多様な娯楽の時代に歪として、昨今の日本では露呈してきてしまってるのじゃないかと思う。

もっと! 純粋に! ファイトを楽しむために!

価値としてのお金とスポーツのさらなる融和が必要なんじゃないかという雑感。